アテネオリンピック

2004年 アテネオリンピック同行レポート

アテネオリンピック

2004年のアテネオリンピックにJOCサポートチームの気象担当として参加しました。 気象という部門では初めてのオリンピック派遣で、出発前はマスコミからの取材に追われる毎日でした。
出発は、選手団体と同じ8月7日、同日ドイツのフランクフルトに1泊した後、8月8日午後アテネに到着しました。
アテネも気温は相当高く、日中の最高気温は35度前後で炎天下では40度。最初の数日は時差ボケもあって、体を慣らすのに一苦労でした。

私の業務はいわゆる天気予報なので、実際に競技会場に行くことはありませんでした。
宿舎はアテネのほぼ中心部にある、JOC(日本オリンピック委員会:以下JOC)が大会期間中に借り上げたアパート部屋)でした。 ここから毎日、地下鉄とバスで1時間ほど離れたところにある選手村まで通っていました。
バスは選手村まで無料直通便で、乗客のほとんどが選手村写真2写真3写真4)のボランテイアとマスコミ関係者です。
市内の主な交通機関は、バス、タクシー(乗合)、地下鉄にトラムと呼ばれる市電写真2車内)です。
タクシーを除いては、事前に切符を買うのが基本ですが、改札もないし、出口で集めるわけでもありません。時折車内で検札がある程度。

アテネでの1日は次のようなものです。
朝早く選手村を出発しなければならない競技もあるため、朝は5時起きで7時までに天気予報をメールします。
その後朝食を済ませて、9時に選手村に到着。入り口で厳重な荷物チェックを受け、次のゲートでパスポートと交換にゲストパスと呼ばれる入村許可証を受け取り、さらに次のゲートで選手村に滞在しているJOC職員の出迎えを受けて初めて選手村に入ることが出来ます。
選手村の建物の概観はそれなりに整っていますが、中はやや間に合わせ的な工作。確かに、遅れに遅れていた会場整備が開催前までに間に合った訳が分かったような気がします。
地下の医務室で仕事をしていましたが、ここは大会終了後にはガレージとなるところ。壁には排水管が露出しており、1日中水の流れる音が聞えていました。
ここで午後の早い時間までに予報作業を行い、後は様々な質問に答える毎日。隣はトレーナー室写真2)で、テレビでよく見る選手が出入りしていました。トレーナー室には試合状況を映すモニターが2台あり、時々大きな歓声あるいはため息が聞えてきました。私も時々顔を出してはテレビ観戦。
昼食は選手村で。私の場合はゲストなので毎回入り口で食券を渡して中へ。
1度に5千人以上が入れる広大な食堂写真2写真3)にはありとあらゆる料理が並んでおり(ただし日本食はほとんどなく)、料理を指差してお皿に盛り付けてもらうのです。
マクドナルド、ギリシャ料理、ピザ、パスタ、西洋料理、東洋料理もどきサラダチーズ果物。さらに、アイスクリーム、牛乳、ヨーグルトケーキ、からソフトドリンクまで。全ての種類を食べるには、多分1日3食で半月以上はかかるでしょう。しかしです。見た目にはそれなりに美味しそうなのですが、味はやや大雑把。特にご飯は炊き方がまったく違うようで、ぼそぼそとぐちゃぐちゃ。幸いな事に、1人用のキッコーマン醤油のパックが用意されていました。サラダを食べるときには、これにオリーブオイルとタバスコを混ぜて和風ドレッシングに。
選手に最も人気があった食事は、なんとマクドナルドでした。このコーナーはいつも長い行列ができていました。
選手村の退出時間は午後9時ですが、私は夕方5時には選手村を後にしていました。
選手村の前で帰りのバスを待つのですが、バス停はなし。手を上げれば止まってくれます。ただし、日本のように手を開いて止めるのはマナーが悪いという事で、人差し指を斜め下に出してバスの運転手に合図を送ります。
宿舎に帰り、洗濯(勿論手洗い)をしながらシャワーを浴び、ビールを1杯飲んだ頃で7時。外はまだ明るく、日没は大体8時過ぎです。それから近くのレストランへ。といってもギリシャ語で「タベルナ」という食堂ですが。
ここでだいたい毎日食べるのが、トマトとキュウリの上にヤギのチーズを載せ、オリーブオイルを皿の半分ほどまで注いだギリシャサラダ。それにミートボール。見た目はやや小型の揚げハンバーグ。これがなぜボールなのかはよく分かりません。ソースがないのでケチャップ。それに固めのギリシャパンとグラスワインかギリシャビール(ミソスという銘柄)。
ミートボールの代わりに揚げたイカリングあるいはラムチョップの日もありましたが、いずれにしてもほぼ毎日同じ物でした。1皿の量が多いので(2~3人分)、あれもこれも注文するととんでもない事になります。値段は10ユーロ前後(日本円で約1,400円)で決して安いとは言えません。ギリシャでは通貨がユーロに替わってから、物価はかなり上昇したようです。
地中海に面した国にしては、シーフードは意外に高価です。もともと地中海は塩分濃度が高く、魚にとってはそれほど住み良い海ではないようで、漁獲量も多くありません。
時々はこの夕食の代わりに、セーリングチームの関係者の方々と食事をご一緒させていただきました。セーリング競技は風を利用してヨットの速さを競うスポーツですから、気象情報も重要です。大会が始まる前にも風についてのミーティングを行い、期間中も毎日情報をメールで送りました。

アテネ市の中心部は「シンタグマ」という所で、有名なアクロポリスもここから徒歩で行く事ができます。アクロポリスの丘を見上げるレストランで夕食をとる機会がありました。日が落ちると神殿がライトアップされ、幻想的な雰囲気の中で食事するのも乙な物です。
それにしても、ギリシャの人達は夜出歩くのが好きなようです。オリンピックの期間中ということもあったとは思いますが、夜ともなればレストランはどこもかしこも満員でした。そこにメダルを取った国のサポーターが繰り込み、飲めや歌えの大騒ぎです。
シンタグマの中心部にシンタグマ広場がありますが、その脇にひときわ立派なホテル「キングジョージ」があります。この2階に、大会期間中JOCがジャパンハウス写真2写真3)を開いていました。アテネの中の日本人ための応接間といったところでしょうか。夕方からはお寿司なども振舞われていました。
アテネにも日本料理は数件ありますが、どこも予約でいっぱい。さらに、値段もオリンピック価格。そんな訳で、私は毎晩「タベルナ」で食事をしていました。

開会式はテレビで見ることになりました。入場料がなんと日本円で約100,000円。これでは、ギリシャの一般庶民もテレビしかないでしょう。
式自体は素晴らしいものでしたが、大変なのは選手です。翌日から競技が始まる選手は勿論欠席します。開会式が終了して会場から選手村への移動も大混雑。選手村へ帰ったのは翌日の朝2時。夕方6時に集合してから入場行進のために8時間以上も拘束されるのは辛いと思います。しかも、あの感動的なセレモニーは我々同様テレビでしか見ることが出来ません。
オリンピックの期間中はほとんど室内での仕事に終始していましたが、女子マラソンはゴールのパナシナイコ競技場写真2)で、男子マラソンは宿舎近くの沿道で見ることができました。両方とも夜の8時過ぎのことでしたが、黙々と走る選手たちの姿はなかなか感動的でした。特に女子マラソンの野口選手がトップでパナシナイコ競技場に入ってきた時、すぐ後ろにケニアのヌデレバ選手が迫っているにもかかわらず野口選手が手を上げたので、もっと早くと声を上げてしまったほどです。周りにいた大勢のギリシャの観客が、ジャパン、ジャパンと応援していましたので、「日本万歳」と教えたら、皆が「日本万歳、日本万歳」と叫んでくれたのには感激しました。その後にも5位、8位と日本の選手がゴール。観戦を終えて宿舎に帰ってから飲んだビールの量が増えたのは言うまでもありません。
当日も暑く、スタート時の気温35度、ゴール地点でも南よりの蒸し暑い風が吹き、31~2度もありました。そんな中で本当によく頑張ったものだと思います。

肝心のアテネの気象のことですが、特徴は次のとおりです。
日中の気温はほぼ毎日32~35度に上がりますが、明け方は20~24度程度まで下がり、クーラーは要らないほどです。
日中の炎天下の体感温度は多分40度ぐらいになっていたと思いますが、木陰に入り、更に風が吹くと、体感温度は30℃以下になり、とてもしのぎ易くなります。また、北風がやや強く吹くと、同様に日中でも涼しく感じる事があります。
期間中、雨は1度も降りませんでした。1度雲行きが怪しくなった事はありましたが、アテネの北側にある山までで、アテネ市内へは雷雲はやってきませんでした。
ギリシャでは夏に「メルテミ」と呼ばれる強い北風が吹くことがあります。バルカン半島の高気圧からトルコのアナトリア高原の低気圧に向かって時に1週間以上も吹く風のことですが、大会期間中はわずか2日程度しか出現しませんでした。
男子セーリング(470級)で日本がメダルを取れたミーティングの様子レース風景表彰式)勝因の1つに、この北よりの強風がほとんどなかったことが挙げられます。セーリング会場の北側にある山の影響で、北風は変化が激しく、選手はこの風をつかむのに苦労しますが、今回は日中海から吹く南よりの弱い風が多く、軽量の日本選手にとって有利に働いたようです。
我々関係者にとっては、柔道で始まったメダルラッシュはその後が心配でしたが、体操、水泳、レスリング、マラソン、アーチェリー、ハンマー投げ、セーリング、野球、ソフトボールそしてシンクロと次々にメダルを獲得し、日本チーム宿舎前のボードはバラの花で埋まることになりました。
セーリングや女子マラソンを除いては、ボート、トライアスロン、自転車ロードレース、男子マラソンなど、気象に影響される競技での成績は今ひとつでしたが、熱心に情報を取り入れていた競技もあり、これからスポーツと気象の関わりが更に深くなるような気がします。
気象が競技に影響するのはどの選手でも同じではないかとの指摘がありますが、それを前もって知っているかいないかでは、心の持ちようが違うと思うのです。競技直前まで知らないで面食らい、競技意欲が削がれてしまう事もあるかと思います。
また、仮に選手にとって悪条件が予想されたとしても、それを事前に知る事で更なる闘志を燃やし、また、作戦を練り直すなども事前に出来るわけで、要は試合前の不安の一部を取り除き、心の準備が出来るという点で有利ではないかと思われます。

アテネの印象は、一言で言えば暑くてハッピーな所です。日中はほとんど自由な時間はありませんでしたが、彼らは24時間フルに使っているようです。しかも大半が遊びに。ヨーロッパの中では決して一流とはいえないかもしれませんが、そこかしこに見られる古代の遺跡と、夜中中続く人、車の流れや町の喧騒、言い換えれば、紀元前と21世紀の人と物が決してアンバランスではなく、妙に溶け合って見えるのには驚きました。日本ではとても目にする事の出来ない風景です。

さて、次は4年後の北京五輪です。陸も海もアテネとはまったく異なった気象条件です。出来るだけ早く準備をして、次の五輪に備える必要があります。特に屋外競技での更なるメダル獲得を目指して。

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